ブルーインパルスカードの誕生を記念して、航空写真家の黒澤英介氏にインタビューを敢行。黒澤氏がブルーインパルスに惹かれる理由、撮り続ける魅力とは? さらにブルーインパルスカードに使用されている写真についてお話を伺いました。

Eisuke Kurosawa:profile
Eisuke Kurosawa:profile

1970(昭和45)年生まれ、宮城県出身。幼少の頃、T-2ブルーインパルスと出会ったことをきっかけに航空機を追いかける。1999年からフリーカメラマンとして航空関連を中心に活動を開始。「ブルーインパルスガイドブック」(川重岐阜サービス株式会社)やブルーインパルス公式ガイドブックの写真撮影を担当する。航空カレンダーの制作、2012年には自身初の写真集「ブルーインパルス 黒澤英介写真集」、翌2013年には東日本大震災からブルーインパルスがホームに帰還するまでの記録を追った「新しい時代へBlue Impulse」(ともに株式会社文林堂)を又、2016年には3冊目になる写真集「黒澤英介ブルーインパルス写真集~追い続ける夢」(株式会社 双葉社)を発表。

初めての出会いは今でも忘れません。初めての出会いは今でも忘れません。

私がブルーインパルスに惹かれたのは1981年。翌年のデビューを目指して訓練する2代目T-2ブルーインパルスの姿を見てからでした。母の実家が松島基地の近くにあり、初代F-86Fも目にしていたのですが、その頃は王貞治が大好きな野球少年。さほど気にしたことがなかったんです。ところが2代目の勇姿を見た瞬間、「なんだ、この煙を出して飛ぶ青くて格好いい飛行機は!!」と、当時小学5年生だった私の心に衝撃が走ったのを覚えています。以降、学校が長期休みに入る度に母の実家へ行き、自転車で基地外柵に通いました。

さらに「いつも手元にブルーを感じていたい!」との思いから写真というカタチで残すことに。高価なカメラは買えませんでしたから、110カメラ(ワンテンカメラ)という小さなカメラで夢中になって“T-2ブルー"を追いかけました。写真に映る飛行機は虫が糸を引いているように小さかったですが、それでも当時の私には十分すぎるほど。喜びしかありませんでした。

撮影は、一期一会。追うは、日常の一瞬。撮影は、一期一会。追うは、日常の一瞬。

私が公式にブルーインパルスを撮影するようになったのは1997年、当時4番機パイロットだった髙橋喜代志さんに「部隊で配っているリーフレットの撮影お願いできる?」と、直接声を掛けていただいたのが始まりでした。現在はリーフレットの空撮をはじめ、ブルーインパルスの全ての撮影を担当していますが、歴史と伝統を重んじ、常に新たな風を吹き入れようと挑戦し続ける彼らの姿、そして、彼らが生み出す神業的なフライトには感動しかありません。

また、東日本大震災の時に、いち自衛官として復旧活動・民生支援に全力で対応していた彼らの姿も忘れられません。被災した地元の方々の心に寄り添って活動するブルーインバルスのメンバーたち。一方で、地元のおばあちゃんが「家の縁側に座って見上げると、いつも宙返りして大きなハートを描く飛行機が見えて、たまにはうるさいな〜と思うこともあったけど今は全くなくなって寂しんだよ」と空を眺めながら話してくれて、基地がある松島市矢本では生活の一部にブルーインパルスがあるのだと涙が止まりませんでした。

ブルーインパルスの撮影は日々一期一会。その日、この時、この瞬間を大事に追いかけることを意識して撮影に挑んでいますが、東日本大震災以降は地元と共に歩み続ける日常の姿も大切に追いかけて行きたいと強く思うようになりました。

富士山とブルーインパルス、希少なコラボショット。

今回のカード券面に使用しているのは、日本の象徴でもある富士山とブルーインパルスがコラボした一枚。撮影は2016年12月、航空祭に参加するため、ホームの松島基地から宮崎県の新田原基地への移動中に行いました。このときは時間差で4機と3機に別れて移動し、私は3機のうちの1機に同乗していたため、被写体機が2機になっています。富士山と一緒に撮るのは他の飛行機のルートとの兼ね合いがあったり、雲がかかって見えなくなるなど当日の気象条件にも大きく左右されます。ですから、この一枚は超!超!超!ハイリスクな撮影を乗り越えた、とても希少な写真です。私自身も撮影できたことに言葉では言い表せないほどの喜びと感動がありました。富士山からやや遠いルートからの撮影でしたが、航空機をアップで撮影でき、富士山は小さくても存在感があり、全体的にバランスのとれたお気に入りの作品に仕上がっています。ぜひ皆さんのそばにも置いてもらえたらうれしいです。

ブルーインパルスカード